お金って何だろう? 第二回



お金とは「誰かの資産で、他の誰かの借金」なのです。
貸借対照表を考えてみれば、当たり前のことですよね。

例えば、皆さんが持っている1万円札は日本銀行券であるので、1万円札は日本銀行が皆さんに対する借用証書です。

日本銀行の貸借対照表を見ると、現金も日銀当座預金も政府預金も、負債、つまり借金として計上されています。
持っているみなさんだの貸借対照表では貸方、つまり資産として計上されます。

日本銀行の負債の担保は何かというと、国債がそれに当たります。日本円は日本国債を払う代金として発行される訳です。国債を売る方は銀行なので、銀行にお金が渡るわけです。

難しいかもしれませんが、お金の仕組みを理解する上では、超重要!
日本銀行、つまり日本国から見ると、現金も日銀当座預金も政府預金も「借金」として計上されているという事実があります。

話は変わりますが、皆さん、「買い物」って何か、わかりますか?

AさんはB商店に行って、1000円で林檎を買いました。その時点ではAさんはB商店に対して、1000円の債務を負っています。そこでAさんはB商店に、手元にあった1000円紙幣をB商店に払いました。つまりAさんは、自分が日銀に対して持っていた1000円の債権でB商店に負っている債務を弁済した、という事。これが「買い物」の仕組みです。
日銀にすれば、債権者がAさんからBさんに変わっただけ、という事です。

日本銀行券(紙幣)は日銀の債務ですが、返済相手がいません。更に利払いの必要もありません。なぜ、これがお金として通用しているのか、については、段階をおって徐々に説明していこうと思っていますので、楽しみにしていて下さいね。

お金というのは「債務と債券の記録」です。にもかかわらず、なぜか、世界中に、「お金というのはモノである」という考え方が広まっています。結果として、様々な歪みが生じているんですが、何でこんな風になったのかというと、経済学の問題に行き付きます。

経済学の始祖である英国のアダム・スミスが決定的な間違いを起こしました。古代ギリシャのアリストテレスじゃないのか?というツッコミがありそうですね。

「昔の経済は物々交換で成り立っていた」という誤解があります。
人類の歴史上、物々交換が経済活動の主流だった事例はありません。

「これこれをしてもらったから、代わりにこれをあげる」という事はあると思いますが、経済活動のメインではありませんから。

もし、そんな世界だったら、いろいろと厄介な事になります。例えば、Aさん、Bさん、Cさん、と三人いたとして、その三人の需要はバラバラのはずで、Aさんの欲しいものとBさんの欲しいものが一致しないと交換できませんよね。量の問題もあるし。

例えば、1500円の物を買いたいけど、それに見合うものがない場合には、どのようにしたら良いのか?

で、アダム・スミスは、塩で交換するようになったのでは、と考えました。塩は、例えばリンゴなどと違って、小さくもなるし、保存も出来ます。使わなくても貯めておけます。で、使いたくなったら、いつでも使えます。リンゴなどのように腐ってしまうこともありません。

「そのうち、塩よりも、もっと価値が固定化されているもの、金属がつかわれるようになったのでは?
しかし、金属では重さを測らなきゃいけないので、面倒くさい。そのうち、円盤が出来てきた。そこに刻印を打つようになり、それがお金として流通し始めた、それが硬貨の誕生。
硬貨だけだと重くて嵩張るので、硬貨を担保に紙幣が誕生して、お金が物の売買に使われるようになっていった。」とアダム・スミスは言っています。

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