【在日崩壊】「だから私はTBSを退社した」永田町を震撼させたエース記者



永田町を震撼させた一冊

「これ、あさって議院を解散する時の会見原稿なんだけどさ、ちょっと聞いてみてよ」 

安倍は本番さながらに、私に向かって語りかけた――。目の前で、現職の総理が解散を宣言している。私はまるで自分が、官邸1階の記者会見室にいるような錯覚にとらわれた。

6月に発売されるや、永田町を震撼させた『総理』(幻冬舎刊)の一節である。

衆院解散を決意した安倍総理が、書き上げたばかりの演説草稿を読み聞かせるほどに信頼を寄せる「私」とは、著者の山口敬之氏のことだ。

1990年、TBSに入社し報道局に配属された山口氏。これまでに社長賞や報道局長賞などの社内表彰を39度も受けたという、同局きっての「エース記者」だった。

今年5月にTBSを退社し、フリーランスのジャーナリストに転身、その直後に刊行された本書では、自民党が大敗を喫した2007年参院選から第二次安倍政権発足に至る舞台裏や、シリア情勢をめぐる官邸と米・ホワイトハウスとの緊迫したやり取りなど、政権内部の動きが克明に描かれている。

とりわけ、第一次安倍政権での参院選惨敗から総理辞任に至るドキュメントは圧巻だ。

安倍総理本人や麻生太郎外相、与謝野馨官房長官(肩書きはいずれも当時)ら重要閣僚をはじめ、多くの政界関係者を取材した結果、山口氏は当時、誰も予想していなかった「安倍総理辞任」をスクープする。TBSは全てのマスコミに先駆けて総理辞任の速報テロップを打ったのだった。その舞台裏を描いた場面は、まるでミステリー小説を読んでいるかのような刺激を読者に与える。

「総理は今日これから辞任する。用意してあるスーパー(速報字幕)を今すぐ打ってください」
「何だって? おい、大丈夫か。誤報だったら社長の首が飛ぶぞ。裏はとれているのか」
「つべこべ言わずにすぐ打てよ」

(中略)永田町を知り尽くした老獪な政治家をも驚かす速報を打った直後から、私の携帯はなりっぱなしとなった。掛けてくるのは、主にかねて付き合いのある与野党の政治家、秘書、官僚達だった。彼らは異口同音にこう叫んだ。

「総理が今日辞めるなんて、あり得ないんじゃないですか!?」

「後発組にして半年で月100万円を達成」できるアフィリエイトノウハウはこれしかない。

(中略)しかし確かに予兆はあったのだ。辞任に先立つ3週間ほど前から、いくつかの小さな出来事が、永田町の注意深い観察者にだけ、首相の異変を静かに告げていた。

以下、山口氏がなぜ総理辞任の「確信」を得たのか、その謎が解き明かされていく。『総理』には、第一線で取材をしてきた記者にしか書けない事実が詰め込まれている。

が、それほどのエース記者が、一体なぜTBSを辞めて独立したのか。本書執筆にいたる経緯、そして安倍政権の行方について、本人に聞いた。

TBSを去った理由

TBSを辞めたのは、「取材したことを報道する」という、ジャーナリストとして当たり前のことができなくなったからです。

私は政治部を経て、2013年にワシントン支局長としてアメリカに赴任しました。このとき、現地の公文書館で、ベトナム戦争中に韓国軍が慰安所を設けていたことを示す文書を発見しました。貴重な文書ですから、すぐにニュース番組のなかで放送したいと掛け合ったのですが、上層部は「デリケートな問題だから、文書だけではダメだ。その現場にいた人の証言が得られなければ、放送しない」と消極的でした。

そこでさらに取材を進めた結果、当時、現場にいたというアメリカ人を発見、カメラの前でそのときの証言もしてくれたんです。「これならいける」と映像編集作業も終えたのですが、またしても会社の答えは「放送できない」でした。

いったいなぜダメなのか、理由を質しても「君のためにならない」「大統領選も控えている」などと、要領を得ない答えが返ってくるばかりでした。

これほど重大な事実を伝えないのであれば、もはや自分はジャーナリストではなくなってしまう――葛藤の末、山口氏はその取材を『週刊文春』誌に寄稿。『米機密公文書が暴く朴槿恵の゛急所゛ 韓国軍にベトナム人慰安婦がいた!』というタイトルで、2015年4月2日号に掲載されたこの記事は国内外で大きな反響を呼んだ。ところが、TBS上層部は、山口氏が他社の媒体で取材成果を発表したことを問題視したという。

会社からは、ワシントン支局長を解任、営業局へ異動という処分を受けました。異動には納得できない気持ちもありましたが、当初は別の部署からテレビ局という組織を見てみるのもいい経験になるかもしれないと考え、配属先での仕事に取り組んでいました。

しかし、私の本性は記者ですから、取材して発信するという仕事ができないことには耐えられなかった。何より、取材した成果を明確な理由もなく報道させない組織に所属していても仕方がないと考えたのです。そして、退職を決意しました。

ちょうどその頃、本を書かないかというお話をいただいたので、退職を機に、これまでTBS記者として取材をしてきたこと、またテレビという枠組みでは報道できなかったことを書こうと思ったんです。

引用:http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49164

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