『日本は我々より30年先行したから助かった』と中国が”屈辱的な歴史”に歯噛み。タッチの差で日本は列強になれた



日本は歴史上、他国の植民地になったことはない。そもそも植民地とは現地の人から見て「他国の支配下にある土地」を指すが、中国もアヘン戦争に敗れたことによって英国をはじめとする国の半植民地となった過去がある。

中国メディアの東方頭条はこのほど、「日本はなぜ他国の植民地になったことがないのか」と疑問を投げかけつつ、日本と中国が異なる運命を辿った理由について考察する記事を掲載した。

記事は、19世紀に清朝は「西洋諸国から交易を迫られ、危機に瀕した」と指摘する一方、日本も同時期に同様の危機に直面したと指摘。だが、「同じ危機に直面しながらも、日中がまったく異なる運命を辿った」と指摘し、清朝はアヘン戦争に敗れて半植民地化したのに対し、日本は世界の列強へと姿を変えたと論じた。

続けて、当時の日本と清朝の違いは日本の明治維新が中国の「戊戌の変法」より30年早く行われたことにあると主張。「戊戌の変法」とは1898年に明治維新にならって行われた政治改革運動だが、記事はこの30年の差が日本を列強へと変え、中国を弱小国へと変えたと主張し、さらに「戊戌の変法」の失敗が後の恥辱をもたらすことになったと論じた。

さらに記事は、日本人は早くから西洋文明の優れた点を見抜き、それに学び、西洋諸国と同等の力を手に入れ、植民地化の危機を脱したとしながらも、清の時代の中国人は自国の文化に自惚れ、西洋文明を見下していたことを指摘。こうした態度の違いが日本と清朝の分かれ道となったとしたうえで、日本は積極的に西洋の先進的な文化を受け入れ、不平等条約を改正させることで西洋諸国の尊敬を勝ち取り、列強への道を進んでいったのだと伝えた。(編集担当:村山健二)

http://news.searchina.net/id/1615867?page=1

ネットでは、このようなコメントが。

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外交で上手く立ち回り軍備もちゃんと充実させてきたからだな。

タイもないよ。

白人の国以外で、植民地化されなかったのはタイと日本だけだが、
タイの場合はインド圏を植民地にしたイギリスと、ベトナムを取ったフランスとの緩衝地帯だったので、民地化されなかった。

明治維新で自力で列強の仲間入りして西洋の圧力をはねのけたのは日本だけ。

いや、イギリスの属国のような形で、近代化に成功しただけ。
成功するまでは、イギリスの言いなりになってロシアとも戦ったけど、第一次大戦後、イギリスは日英同盟が満期後、アメリカ、フランスを加えた四か国同盟とし、日本の国際的な地位が上がっていくにつれて、イギリスと疎遠になっていった。
「ハリマン事件」がなかったら、アメリカもイギリスも、日本の敵になる事はなかったであろう。
幕末から現在の、日本の状態を考えてみると、今までは他国以上に努力してきた、という事に尽きる。

国として纏まっていたか否か、だと思うなぁ。

長州の陸軍、薩摩の海軍、は明治から昭和まで、ずっと仲が悪かったけど。

誇らしいニダ。

やっぱり平成の今こそ、明治の「富国強兵」の姿勢が必要だな。

日出づる国の天子、日没する国の天子に(以下略)
『日輪の子』太閤秀吉の唐入り
幕末~明治の賢人
日本の危機はいくらでも有りました。それを超える人がいたのです。

今、アメリカの半植民地じゃん。

明治はイギリスの半植民地。

東夷wだからこその柔軟性が日本は短期で強国に育ったんだよ。
中華思想を捨てなかったからこそ、今も世界から嫌われる木偶の坊w。

日本は1000年以上、大して他国と交流せず、独自の文化を育んできた。だから独自のものとして作り変えるのに長けているので、大国になれた。

そもそも清というのは「満洲人」が支配する国だった
ような気がするんだが、たぶん気のせいだなwww。

日本人の血で建国された満州は、今では中国領。

日本は不平等条約であろうと一度結んだ約定を違えなかったから侵攻する大義名分を与えなかった。
既得権益者自らが既得権を手放し改革を行った事で内乱を最小限に止め列強の直接的介入を許さなかった。
列強のパワーバランスをよく観察しながら外交の舵を取り力を蓄えた。

ぶっちゃけ、幕藩体制と天皇家、そして内戦による交渉等で
外交力が自然と培われて、相手を認めるということも
熟成されていたからな。

交渉力は大してなかったと思う。なので大英帝国の思うまま。徳川埋蔵金も明治の初めにロンドンへ渡っていたようですし。そもそも二十代前半の兄ちゃん達が、世界の三分の一を持っている大帝国とまともに話し合いなど、できるはずがないでしょ。

日本の教育レベルが末端の庶民レベルに至るまで非常に高かったことと。
産業のレベルが高く、社会資本が蓄積されていたこと。
欧米の科学技術の研究は、江戸時代から盛んであったこと。
このへんは最低でも押さえておくべきだろう。

鎖国のメリットとして、キリスト教の禁止の結果、神秘主義やオカルト色の強い書籍が排除され、その結果、錬金術と科学の分離が不完全であった。
当時の西洋から、技術や実学にかなり限定された書籍しか入ってこなかった、というのを挙げていいかもしれない。

日本人は契約を守る唯一の東洋人だったからな。
西洋人から見て信用できる相手だったのは大きなポイントだろう。

結局コレなんだよ。
列強は列強で同盟結んだかと思えば敵対したりと牽制しあってた。
何でもかんでも好き勝手攻め込む事なんて出来なかったんだよ。
ロシアが対馬を占拠しようとした時に、イギリスが日本を手助けしたように微妙なバランスの上にあった。
敵対してる陣営が文句の言えない大義名分が必要でイギリスが支那の権益を列強に分け与えたのもその為。
東アジアに関しては単独で武力侵攻可能だったのはロシアとイギリスくらいなもんだったから他の地域に比べりゃ分かりやすかったとは思うんだけどな。
つまり、支那が馬鹿なんだよ

クリミア戦争、セポイの乱、アヘン戦争、アロー戦争、と英国が戦争続きだったのも幸いしてる。

まさに中国=ゆとり世代があてはまるわ。
社会が悪いとか他人のせいばかりで、俺最強って思ってるんだよ。

実は幕府内でも、相当に近代化してるんだよね。造船所作ったりとか。
そんで、社会制度的にも、「藩」を置いて中央集権を強めたりした。

あんまり語られないけど、「幕藩体制」って、幕末にできたものだからね。
ほとんど明治政府と変わらないところまで改革できてて、それを徳川から薩長土肥が掠め取ったというのが正解。
もうね、底力がまるで違う。

だから、「徳川慶喜を初代大統領に。」などと言ってた坂本龍馬は殺されてしまった。

清の時代の中国人は自国の文化に自惚れ、西洋文明を見下していたことを指摘。今と変わらん、ちょっと金持つと態度が全く同じ。

そもそも植民地とは現地の人から見て「他国の支配下にある土地」を指すが、

この定義だと、敗戦後のオキュパイドジャップランド時代が該当する

主権がない、その国の利益をチューチュー吸い上げる、自国語を話させない。
つまり、ハングルを教え、インフラ整備までしてた朝鮮は、日本の植民地ではない。

GHQ占領下の憲法を墨守しているから、実質植民地支配みたいなもんだろうなw。

辺境の孤島に何を求めているのか…。

金。

秀吉は列強の日本進出を見越して先手を撃ったんだよね。

中国の海岸線がのっぺりとした単純なものだったから。

お前ら中国人は自分のためなら国も売るくせに戦争になるととっとと逃げ出すクソ雑魚ナメクジ民族で
日本人はその正反対だから。

日本も必死だったからなー。
中国には甘えがあったんだと思うぞ。

シナ人はアヘン中毒だったから。

日本人は、国がボロボロになるほど、アヘンを吸わなかった。

日本は確かにうまく立ち回ったけど、
清(支那)が欧米に食い物にされた直接の切っ掛けは、日清戦争であっさり負けたからだ。
あれで「支那大した事無いじゃん」て思われて半植民地にされたんだよ。だが皮肉な事に、これは日本自身の首も絞める事になった。

中国がこういう報道をするときは、要注意。

司馬遼太郎は、
漢代あたりから「アジア的停頓」が始まったと書いてるね。

それは「特亜的停滞」と言うべきだよな。
支那・朝鮮以外は、別の歴史・社会なんだから。
司馬が生きている時代には、まだ「特亜」という用語はなかったが。

日本はそのアジアではないし。他の国とは全く異なる歴史を歩んでいる。

司馬遼のそのテの発言は真に受けん方が・・・。

あくまで小説であり、歴史家ではないので。

国際法を「紙屑」とか一蹴してやりたい放題することが中国の言う「立派な独立国」なのか?

そんなものを守ろうとするのは日本くらい。

引用:http://u1sokuhou.ldblog.jp/archives/50485561.html

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