お金の歴史第三回



世界で初めて紙のお金が誕生したのは、支那の北宋の時だと言われております。唐の時代にある程度は出来上がっていたようですが。

シルクロードを西に向かう途中、例えば、ウズベキスタン辺りで何か商品を買おうとした時に、北宋の商人は交子(こうし)とか会子(かいし)という借用証書を使用しました。
それが進化して、元の時代に、「中統元宝交鈔」という紙幣が誕生します。この時は銀本位制でしたが。この紙幣は日本銀行券と同じで、その紙幣を持つものに対して、発行者(モンゴルの役所)が、いくらいくらの債務を負っていますよ、という紙幣でした。発行した役所の裏側には、担保として銀があるというものでした。このシステムの弱点は、銀がないとお金を発行できなくなります。モンゴルは宋を南に追いやった金(きん)を滅ぼし、南で帝国を再興していた宋を滅ぼし、支那大陸全体を統一しますが、その時、大変な事になってしまいます。

人口が激増しました。特に南宋は大国でしたから。で、膨大な人口が元(げん)の人民になってしまったため、その人たちも、当然モンゴルの貨幣を使うので、貨幣を造るのに充分な銀がありません。で、その時、世界で初めて、銀の裏付けのない、不換紙幣「至元鈔」を発行しました。担保はありません。

当時のモンゴルは現在と決定的な違いがありました。「生産能力」です。産業革命前なので,物不足、食糧不足が当たり前の時代でした。その時に不換紙幣を発行して普通に流通したため、インフレーションが起こり、苦労する羽目になります。

不換紙幣だから、何の担保もなく発行できるから、政府が必要な時に必要な分を発行しました。それをみんなが使い始めたから、需要が拡大してしまいました。それを満たすだけの生産能力がなかったから、「至元鈔」は見事にインフレを引き起こして、何度も何度もデノミされる状況になりました。

皆さんに質問です。
もし、クビライ・ハーンが、この「至元鈔」を1億枚刷って、それをモンゴルの草原に積み上げたら、インフレになりますか?

なる訳ありませんよね。ちゃんと流通して需要に化けなきゃなりませんよね。

元(げん)がインフレを引き起こしたのも、南宋を制圧して人口が激増して、全人民が「至元鈔」を使うのに、全人民の欲求を満たせるほど生産性が高くないからです。モンゴルは不換紙幣を発行したからインフレになった訳ではありません。金や銀を担保にしている「兌換紙幣」を使っていてもインフレになりますから。

「お金を発行したらインフレになる」などと言っている経済学者も少なくないですが、インフレになるのは需要と供給のバランスにおいて決定されるのであって、発行しただけでは何も変わりません。アベノミクスでは、2%のインフレ目標を設定して、400兆円近く発行したのに、インフレ率はマイナスで、デフレ化していますから。

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