お金の歴史第二回



そもそも、豊かになる、という事は所得が増える事であって、お金が増える事ではありません。
所得が生まれるにはお金が必ずしも必要という訳ではないからです。

例えば、Aさんは米100gでBさんからリンゴを買いました。Bさんは米100gでCさんからバナナを買いました。Cさんは米100gでAさんからリンゴを買いました。

というように、米でも良いわけです。

何度も言っていますが、歴史上、物々交換によって、経済活動が行われたことなどありません。ギリシャ経済は、リーダーの元に全ての生産物が集まられ、働きに応じて分配される、というものでした。贈り物もありましたが。そうやって人々に物資が届けられる社会でした。アリストテレスの時代から1000年ほど前の話ですが。

そのアリストテレスは、最初は物々交換だったけれど、金とか銀とか鉄とかの重さが測られて、使われるようになっていき、でも面倒くさかったので、そのうち、金属の円盤に刻印を推して使われるようになった、これがお金の誕生だ、と言っています。アリストテレスは物々交換を簡単にするためにお金が生まれた、とも。

「国富論」を書いたアダム・スミスは
肉屋と酒屋とパン屋がいる。肉屋は酒と肉を交換する。あるいは、パンと肉を交換することが出来ます。酒屋は肉が欲しいと思っても、肉屋には充分なほどの酒を持っており、交換に応じてくれない。だから、塩や砂糖のような貯めておいても損をしないものが使われるようになっていった。その後、塩は消費されるものなので、もっと普遍的なものに変わっていったはずだ。それが金属。でも測って持っていくのが面倒くさいので、円盤状にして刻印を打つようになっていき、それを持って買い物をするようになっていった、と説明しています。

これがいわゆる「アダムの罪(つみ)」です。

何が罪なのかというと、「間違っているから」。

アリストテレスやアダム・スミスの貨幣感に沿うと、誰が考えても、お金は物だと思ってしまいます。

アダム・スミスが「お金は交換用商品である」という形ある物だとするのなら、なぜ我々は銀行預金の残高というデジタル・データで、買い物や借金の返済をすることが出来るのでしょうか?デジタル・データは物ではないですよね。単なる情報ですよね。

紀元前610年頃、アナトリア(現トルコ)のリディア王国で、エレクトロン貨という、史上初の金属による貨幣が使われ出した事は間違いありません。実際に発見されていますし。リディアには川があって、そこから砂金が採れたから、という事も大きかったのかもしれません。

以前動画で説明したように、真の意味でお金が誕生したのは、古代ギリシャでもリディア王国でもありません。メソポタミア文明です。借用証書ですが、粘土板の所有者に対して、ということになっているので、もらった人が自分の支払いとして使っても良いようになっています。つまり譲渡性があるので、お金というわけです。

メソポタミア文明では、いわゆる楔型文字が誕生する前に、クレイ・トークンと呼ばれる、おはじきが、人類史上初の数を数えるための道具である可能性が極めて濃厚ですが、トークンで物と数の両方を表現するというのをシュメール人は発明しました。羊のトークンを三個置いたら羊三匹を表すというように。
これを発展させて、シュメール人はトークンを焼かずに済むよう、楔形文字を発明しました。

それで、紀元前2500年頃、メソポタミアのシュメール人は、債務と債権などを楔型文字で記録した粘土板を製作するようになります。これが、本当のお金の誕生です。

で、お金の重要な部分は、借用証書なのに、他の人が自分の債務の弁済に使えるという事です。誰かに持つ債権で、自分の債務を弁済出来るという事が重要なのです。

商品の売買とか借金の返済、あるいは商品の決済を簡単にするために、金額を記録するという形でお金というモノは誕生して、変化していったわけです。

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